ミュージックちゃんこが大人気!
2011年5月 2日

4月27日、福島県新地町の福田小学校の避難所を訪問。ちゃんこ鍋を提供しました。ここは被災者が自ら炊き出しをしているので、一食でも炊事の手間を省いてあげられたらと思ったが、薪の釜を見て一同ショック。結局、被災者のおじさんに炊きつけをしてもらいました。鎌倉からの若者5人組が今回のメンバー。実家が相撲部屋というガッツくんの指導のもと、本格ちゃんこを作りました。今回初めて参加のガッツくん、龍麿さんお2人はミュージシャンで、ギターで歌も披露。みなさん、お腹も心も満腹のようでした。
ラリベラでサッカー教室実現
2010年11月25日
JICA東北、ベガルタ仙台、フー太郎の森基金の共同企画として、昨年夏より始まったベガルタ仙台のコーチをエチオピアに派遣する事業。来年1月6~14日に派遣時期が決定し、育成部の井上和徳コーチと福田直人コーチが派遣に手を上げてくれた。エチオピアでは4回の教室開催を予定しているが、標高が2500mを越えるような高地ゆえ、果たして走り回れるのか心配しながらも、Jリーグでの初めての試みとなるNGOとの海外での協力事業に意欲を見せている。
今回の派遣旅費(100万円)はフー太郎が負担することになり、半分はエチオピアコーヒーの販売と募金でまかなわれた。エチオピアで一番おいしいと評判の「トモカ」のコーヒー250gを1,500円、500gを2,500円で販売し、このうち1,000円、2,000円が旅費として積立てられた。また毎月1回ベガルタのホームユアテックスタジアムに出店し、コーヒーやグッズの販売をしながら募金を呼びかけた。残りの50万円は福島県にある住宅メーカー「株式会社ニーズ」が協賛金を集めてくださったおかげで、目標額を無事達成できた。
今回の企画にはサッカー教室以外にも様々な取り組みを盛込んでいる。例えばベガルタ杯のサッカートーナメント戦。到着時にラリベラでは決勝戦を行う。また日本とエチオピアの子どもたちが「4年後、きみたちがこうなっていたらいいなぁ」という願いを書いてタイムカプセルに埋め、次のワールドカップの時に開ける。それからスタジアムで売られたコーヒーの紙コップにはメッセージが書込まれ、ラリベラで苗木のポットにする。そのための種まきや植林もひとつのイベントだ。
JICA東北はマスコミ派遣の事業をこの企画にドッキングさせてくれた。仙台のTV局東日本放送がツアーに同行し、55分のドキュメンタリー番組を作ってくれる予定だ。
世界陸上で中・長距離の上位を総なめする心肺機能の高いエチオピア人だが、FIFAのランキングは131位と振るわない。今回アジスアベバのクラブチームも訪問する予定だが、将来ベガルタで活躍するエチオピア人選手が輩出する、かもしれない。
外務大臣表彰受賞に思うこと
2010年7月20日
フー太郎の森基金が平成22年度外務大臣表彰に選ばれた。春に在エチオピア日本大使館から表彰の「推薦」をいただいたものの、なかなかお返事がなかったので、「駄目だったのかな
」と思い始めていた。そうして6月28日スタディツアーの参加者をお連れしてラリベラに着いたその日、受賞のニュースが日本事務所から届いたのだ。ツアーの参加者はみんな古くからフー太郎を応援してくださる方々ばかりだったので、みんな誇らしい気分だった。その夜のエチオピア事務所の歓迎会は、急遽、表彰を祝う会になり、スタッフみんなで喜び合い、またその労をねぎらった。
7月14日、外務省の飯倉公館で催された表彰式には、私と深川副理事長が出席した。受賞者には、韓国問題に詳しい小此木政夫氏や平田オリザ氏などの姿もあった。
9月でフー太郎は創設13年になる。「エチオピアの乾いた大地に、1本から木を植えていきましょう」と、福島県の相馬市でささやかにスタートした。たった一人のスタートだった。植林の知識もなく、海外援助や市民活動の経験もなかった。おまけにお金もなかった。本当に1本でもいいから木を植えたいと思っただけだった。こんなささやかな思いが、40万本の植林や、8つの溜池、あるいは3つの学校などへと結晶していったのは、フー太郎に関わってくださった一人ひとりのみなさんのおかげだ。みんなで手さぐりでここまで歩んできたのだ。
10数メートルのユーカリの林になったラリベラ小学校の西斜面。ここは1代目の駐在員以来、子供たちと一緒に木を植え続けていたところだ。混植すれば大丈夫だろと、私たちはさまざまな樹種の中にユーカリも混ぜて植えていた。ところがこの強靭な木は他の木をすっかり駆逐し、この10年でユーカリの林を作っていた。確かに緑にはなったが、この急斜面の土壌がやがて侵食されていくことは目に見えている。しかし学校がなかなかユーカリを切らせてくれなかった。
ところが先日ラリベラ小学校を訪れると、ユーカリの林が無くなっていた。3年前にもツアーに参加した丹治さん、松岡さんはあまりにも寂しくなった斜面に唖然としていた。そして参加者の皆さんでここに木を植え直した。大丈夫、きっと数年後にはここに在来種の林ができているはずだ。誤りを正していくのには勇気がいる。試行錯誤は私たちの「十八番」でいい。
エチオピアでサッカー教室を
2009年10月 9日

9月20日、ユアテックスタジアムは人の波で埋まっていた。サポーターらが作る絵文字やウェーブを見ていると、感動で目頭が熱くなる。この日栃木FCとの試合に1万6000人を超える観客が仙台市泉に集まった。13時キックオフだというのに、朝からゲートには行列ができていた。10時半になると続々観客が入場してくる。私たちフー太郎の相馬支部の6名は、メインゲートに程近い通路に2台の机を頂き、朝各自がポットに詰めてきたコーヒーやエチオピアのグッズを販売するのだ。
というのも、エチオピアの子供たちにサッカー教室を開催してほしいという我儘を、ベガルタ仙台の斎藤美和子課長が聞き入れてくださり、2011年1月に2名のコーチを派遣することが了承された。そこで月1回、ホームのユアテックスタジアムに出店して旅費を募ろうという次第。おまけにスタジアムの出店料はベガルタさんが負担して企画を支えてくださることになった。
そんなことで、スタジアムで売り子となった相馬支部の面々は、ラッシュアワーの新宿駅並に行き交う人の波に面食らいながらも、掛け声をかけながらコーヒーを売ったり、チラシを配ったり、大変な奮闘をしたのだった。
ご存知のようにエチオピアはコーヒー発祥の地。その1番有名なTOMOKAのコーヒーは、香り高くコクがあり大変おいしいものだ。日本でも500gのパックが2000円で売られていると聞いた。その豆で入れたコーヒーが一杯100円とあって、用意してきた80杯はあっという間になくなってしまった。またエチオピ産のハイビスカスやカモミールのお茶も好評だった。
ところで、栃木FCとの試合は終始ベガルタが優勢で2-0で勝利した。現在J2で2位をキープしているベガルタ仙台だが、J1昇格を目指してサポーターの応援も益々熱くなっている。コーチ派遣の企画もこれから皆さんと一緒に盛り上げていきたい。次回の出店は10月25日。スタジアムにお越しの際は、私たちのお店にぜひお立ち寄りください。
全国キャンペーン無事終了!
2009年9月15日
8月17日から2週間(通算177~190会場)開催された第11回フー太郎の森基金全国キャンペーンが無事に終わりました。各会場を主催くださいました皆様、会場にお運びくださり会を盛り立ててくださった皆様、また会には参加できなくとも募金や裏方でご参加くださった皆様、皆様の並々ならぬご努力で本当に充実した時間を刻めましたこと、感謝申し上げます。
今年はいつものキャンペーンと違ったことがいくつかありました。
①5代目駐在員岡野鉄平の報告会、②東北限定開催、③収益金の使い道をカンカニの学校建設に明確化、④新たなアーチスト小野雅也さん(サックス)の参加、など。参加者の皆さんは、現場の臨場感たっぷりの話を聞き、古屋和子さんの「シアトル酋長のメッセージ」に背筋を伸ばし、若手ミュージシャンらの爽やかな音楽に心を弾ませてくださったことと思います。事務局には「もっといろんなひとに聞いてもらいたかった!」との声があちこちから寄せられています。
ところで、一番気になるキャンペーンの収益ですが、会計報告はまとまり次第ニュースとしてお流ししますが、カンカニの学校を作るために最低限必要な資材費10万円は、今回のキャンペーンで確実に達成したようです。カンカニの子供たちの喜ぶ顔が目に浮かびます。本当にどうもありがとうございました。
人間の尊厳が試される大地
2009年9月 8日
温暖化のせいでしょうか、日本も異常気象の夏になってしまいました。エチオピアの私たちの活動地でも、雨期が1カ月遅れたようです。普通6月下旬から雨が降り出すのですが、一向に降らず、水道からの水も3週間止まったようです。これまで1週間水が来ないという経験はありましたが、3週間とは、近年ありませんでした。
私たちが植える木は3mほどになれば自力で育っていくものですが、今年ばかりは方々で枯れていました。この間、村の人々はどんな暮らしをしていたのでしょう。今回すっかり雨が降り出した7月末に、私はスタディツアー参加の会員をお連れしてエチオピアを訪れましたが、その凄まじさの一端を垣間見ることになりました。
私たちの掘った溜池のひとつを訪ねた時のことです。雨期の雨を得て、溜池は満々と水をたたえているのですが、何か様子がおかしいのです。そう、私たちが周囲に植えた木が全部折られているのです。おまけに牛の水飲み場や洗濯場にはたくさんの石が突っ込まれ、併設された畑にも緑らしきが何もなく見る影もありません。
話を聞くと、雨期が1カ月遅れ、人々は溜池の底の泥水を3日に1回順番にすくっていたようです。しかしいよいよ状況が厳しくなると、管理を任されている9家族が、他の人々に「水を使うな」といい出した。確かこの溜池は200人ほどが使っていたはずです。案の定、騒動が起き、この顛末だったようです。
アムハラ州は70・80年代に大干ばつで多くの人々が亡くなった所です。水のない恐怖は私たち以上に彼らのDNAに刻まれていることでしょう。実は、アフリカの紛争の多くは、水問題によって引き起こされています。「アフリカは民度が低いから」という方がありましたが、皆さんはどう思いますか。ギリギリの状態で、私たちは果たして分け合うことができるでしょうか。
「もちろん!」といい切る勇気が私にはありません。待てばいずれ給水車が来るわけではない灼熱の大地です。余裕があるからこそ私たちは理性的でいられるのでしょう。人間の尊厳が試されるような厳しい現実が、まだまだアフリカにはあるのです。
出版記念講演会
2009年7月 9日
7月5日、木更津の小玉一枝理事が「よみがえれフー太郎の森」の出版記念講演会を開催してくれた。会場は上総アカデミアホール。フー太郎のキャンペーンやチャリティコンサートでもお馴染だが、国際会議場などが開催される静かな森に包まれた施設だ。
小玉さんはじめ上総の皆さんとはフー太郎の創設からずっと一緒だった。だから今さらフー太郎の話をする必要などなく、私は上総と私がつながるきっかけになった拙著「楽園に帰ろう」とそれ以後の私の思いを語った。
私はきっと不器用なのだろう。自分の体験や行為から、自分の中に向かうことでしか自分のことを語れない。フー太郎でボランティアを11年やって得たものは、私がアフリカに向かう前に感じていた「心の真ん中に空いた穴」をすっかり埋めてくれそうな「つながり」だった。
30代の私は「自分のコスモス」を見出すことで「心の穴」を埋めようとした(「一人教の教祖になれ」は「楽園」の大テーマ)。しかしボランティアはそんな問題を軽々と乗り越えて、どんな神話(宗教や信条)を抱いていても、お互いつながることができるダイナミズムを持っていた。違いを認めながらも、今差し迫った問題のために手を携える。私たちはただ響き合えばよかったのだ。
いつもと違う私の話に面食らう方もあったが、「今日は本当に来て良かった。フー太郎に対する思いが満たされた」と語ってくれた方もあった。
孤独感や無価値観にさいなまれる若者たちよ、何でもいいからボランティアに汗を流そう。あなたは必要とされているし、あなたのことを認めてくれる大勢の人に出会うから。そこにはあなたの居場所がきっとあるから。